【もおすけ日記】初歩荷で初負傷・2
文字通り、転んでもただでは起きない女・もおすけです。
皆様こんにちにゃ。
捻挫してから、凹んでいるかって?
とんでもない。
皆さんにご迷惑をかけた分、一日も早く回復させなくっちゃいけないから
今まで以上に“パクパクモンスター”です。
私と、去年は双六で働いていたというケイちゃんと
某登山用品店で働いていた、たかちゃん。
三人合わせて“お替りトリオ”。
ご飯はパクパク。
残ったおかずもパクパクパク。
オトコ飯並みの食欲に、横でニッシーが『ありえないですよ。』と言う声もなんのその。
ガッツリ食べまくっております。
それではそんなもおすけの、捻挫日記を引き続きお楽しみ下さい。
(既にタイトルが変わってるし)
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2011年 7月26日 三俣山荘にて
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まずは部屋に戻って靴下を脱ぎ、足を拭く。
で、ストックを杖代わりに医局へと向かう。
ここ三俣山荘では、岡山大学&香川大学の合同医学部の皆さんが
夏山のオンシーズンに、診療室を設けて下さっている。
今年は8月22日まで。
早速先生に状況を説明して、診察して頂く。
未来のお医者さんである学生ボランティア君も、心配そうに覗いて下さる。
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先:『あー…、これは靭帯が切れちゃってるねぇ。』
も:『え! じん帯が伸びちゃってるとかじゃなくて??』
先:『うん。一部数本断裂してますね。
ここを押して痛くないのなら、剥離骨折やココの細い骨の部分の骨折も
ないと思うけど、レントゲンを撮って見ないと確かなことは言えませんが・・・。』
と、先生はふくらはぎの横を押す。
確かに、耐えられないほどの痛みまではない。
も:『えー! ほんとですか? 私、行きに転んだんですが普通にこの足でボッカして
水晶小屋まで荷物を届けて帰ってきましたけど…。
さすがに鷲羽の下りはちょっと痛かったですが。』
先:『イヤ、この足で鷲羽なら そりゃ痛かったでしょう。捻挫のひどいのって感じですね。』
も:『…、ぅわ ほんとに捻挫ですか・・・。』
先生が仰るには、これが登山客なら即・ヘリ下山→病院搬送→レントゲンコースらしい。
先:『鷲羽にお散歩行けるようになるには一ヶ月、完全に痛みがなくなるようになるには
二ヶ月はかかるねぇ。』
も:『・・・・・。』
まだ三俣蓮華岳にも水晶岳にも雲ノ平にも、高天原にも黒部五郎岳にも行っていない。
それで二ヶ月もだなんて。
先:『今日は様子を見て、明日腫れがひどい様だったらレントゲンを撮る事(=下山)も考えましょう。』
と先生は、今夜は痛みますから、と痛み止めのお薬も出して下さいました。
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そして、偶然にもこの日、三俣山荘に去年白馬~五竜へと縦走した時に知り合った
あさゆさんが、遊びに来てくださいました。
あさゆさんは、双六に当初泊まる予定だったのを“もおすけがいるから”と、
三俣山荘に変更して泊まってくださったのです。
私の包帯ぐるぐる巻きの足を見て、あさゆさんはびっくり。
かくかくしかじか・・・と事の顛末を話していると、あさゆさんの隣には
件のワリモ岳近くで双六のことを聞かれた お兄さんが座っていらっしゃいました。
も:『あ!結局、双六は辞められて うちにされたんですね!?』
兄:『は?』
も:『え、ほら私、今日の昼間 ワリモ岳近くで道のことを尋ねられた者ですよ~。』
と二回くらい説明しても、お兄さんは私だと分からずに何のこと??って顔をしていましたが。
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忘れていたのは私だった。
日焼け最強対策で、帽子&伊達メガネ&フェイスカバーをしていたのだから
“お会いしましたね。”と言われても、私だと分かるはずはあるまい。
(私と言うよりも、誰だかわかる由もない姿。)
今日はここまでひどくはなかったけど。 (6月の涸沢より photo by リン)
『あぁ!あの時の!!』と、ようやく状況が飲み込めると お兄さんは
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兄:『えっ!!じゃあ あの時、既に捻挫してたんですかッ?』
も:『ハイ。でも、あの時は(そして結構今も)大丈夫だったんですよー。』
兄:『エッ…、あの時、もの凄い軽快な足取りで歩いて行きましたよね。』
も:『ええ。あの時は(そして今も)大丈夫だったんですよーー。
でも今は、大事を取って このギプスなんですぅ。』
なぁんて話していると、今度は横に座っていたおじさんが
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お:『あーッ! あの時のネギしょってた君かぁ!』
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と、これまた膝ポンッのご様子で、私に気づく。
も:『えー?・・・私、どの辺りでお会いしましたっけ?』
お:『ほら、君が三俣方面から鷲羽岳を下ってきた時に“あと少しで山頂ですよー”って
声を掛けてくれたでしょ?』
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ああ!
あの時のおじさん達。
確かに向こうからしたら、“ネギとかゴボウとか背負子で歩荷している女子”なんて
それだけで記憶に残るよね。
も:『あーー、あの時はまだ元気だったんですよー。あの後コケて、このザマですわ。』
三俣山荘の談話室でこんな再会となり、こんな話題になるとは。
それにしても私ってば、かっこよく決まらないのねー。
でも、あさゆさんはじめ 久しぶりにお客様といろんな会話が出来て
ほんのわずかな時間でしたが、とっても楽しい一日(!?)となりました。
あさゆさんが記念撮って下さった写真↓
両端のお兄さんとおじさん達が、本日歩荷中にお会いした方々。私の左隣があさゆさん。
この日は部屋で安静にと言うことで、部屋で一人夕飯となりました。
バックの風景が雑多なのは、皆の大型ザックが所狭しと並んでいるから。
三俣の受付看板娘・もっちーが運んできてくれた夕餉。ありがたや(そして美味しい)。
初歩荷したり怪我したり、嬉しい再会があったり。
相変らず いろんな事件ばっかり起きる もおすけなのでした。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
私も中学の時に捻挫しまくったおかげで今現在足首の靭帯数本無いよ。おかげでよくなんでもないとこでぐねります。でも山歩きにはなんの支障もなし
あと膝の靭帯やったときは、1週間の絶対安静と1か月の入院を言われたけれど、仕事の都合上休んでられなかったのでギプスはせずに即帰って固定サポーターで過ごしました。
もちろん運動はもってのほかで半年は禁止勧告…。半年たってしっかり回復してからリハビリって言われてました。
片足は全然動かない状態やったので不住したけど、2週間後には自己流でリハビリ開始(病院に行くといろいろ制限されるので)
2か月後にはリハビリ山行で岳沢から前穂・奥穂と行って涸沢から上高地へと下ってました。
だからあせらずに治してね~
投稿: まこっちん | 2011年8月 7日 (日) 18時50分
■Kobachanへ
えーー。そんなに時間がかかったんですか?
ワタシ的には、勝手に一ヶ月でほぼ治って、九月中旬までには完治と予定しています。
だって、秋には山に登りたいもーん。
とは言うものの、後遺症は絶対に残したくないので、今回だけは大人しく完治に向けて
しておこうと思います。
ああ。
それにしても、登りたい。
投稿: もおすけ | 2011年8月 6日 (土) 17時53分
もおすけさん、こんにちは久々のコメントのKOBAchanです。
う~、なんとかご無事のようでホッとしつつ、お気の毒で辛い気分です。
と言いますのも、私も学生時代、右足首の外側のじん帯を一部切断し
内出血がひどく、嘘でもなく本当に自分の足の大きさが倍になりました。
まるで像の足でした。 医者に行ったのが一週間後でしたし、お金が
無かったので、その一回きりしか行きませんでした。
それもあって完治と呼べるまでには半年ほどかかった記憶があります。
その辛さを知ってますので、なんとも言えない気持ちです。
しかし、その食欲。 私もその当時二十歳の食べ盛りで食べても食べても
食べられる状態で、今から思えばよく自力で直したなと思いますが、
食はやはり元気の源です。 その食欲さえあれば必ず直ります。
ただ、ひねりの動きが完治を遅らせると思いますので、大げさでも
足首をかばって過ごして下さい。 馬力があるだけに無理をしそうで
コワイですが。
お大事に。
投稿: KOBAchan | 2011年8月 6日 (土) 15時11分